神社と散歩①(川越八幡宮と川越祭り)
僕が御朱印をいただいた一番最初の神社は川越八幡宮でした。
それまで神社さんには全然興味がなく、いつもスルーしていました。
3年程前に妻がいきなり離婚したいと言い出し、娘を連れて出て行きました。
息子も連れて行くとの事でしたが、息子は僕と暮らすと言ったので家族が2つに別れる形に。
離婚のショックで息子は高校を不登校になり、進級も難しい状況。
担任の先生と毎日電話で話をして、課題を手伝ったり、励ましながらどうにか息子も進級。
やっと落ち着いたと思ったら今度は妻が急死。
一人では何も出来なかった妻ですが、戸籍と娘の親権だけはさっさと自分に移していた為、ここからが大変でした。
娘の意思は僕のところへ帰ってくる事。
しかし家裁へ行けば妻の書類を持ってこい、市役所へ行けば本人は故人だけど貴方は親権者じゃないからダメ、そんな状況下で義父が娘の親権者手続きをしてしまい大混乱。
折しも娘は高校入学の時期だった為、三者面談が多数。
書類を書けというので取りに行き書けば後日「お父さんは親権者じゃないのでダメでした」
先に言えよ!w
会社も休暇や早退が増え評価がガタ落ち…
学校の先生含め親族や義実家にもあからさまにバカにされながら、味方は一人もいない中で仕事を早退して娘の三者面談に…
川越駅から中学へ向かう道すがら、目に付いたのが川越八幡宮でした。
妻が存命の頃に二人で訪れた事があります。
冬なので銀杏の木も寂しいものです。
こちらは縁結び、必勝の神と言われていたのを思い出しました。
それまで神社さんなんて興味がなかったのですが、神頼みじゃないけど、助けが欲しかったのかもしれません。
神社に入り参拝。
願うのは、子供達がこれから良い縁、人の縁、地の縁、時の縁に恵まれますように…それだけでした。
最初に御朱印を見た時は、何だかイメージと違うな〜と思いましたが、今見返すと味があって素晴らしい筆跡だなと思います。
何より他に見ない筆跡と言いましょうか、独特で唯一な筆書きです。
あれから数年経ち、久し振りに子供達と3人で川越祭りへ。
なかなか3人揃って出かけるという機会もなくなりました。
まずは蓮馨寺へ。
お馴染みのお化け屋敷です。
この陳腐な感じが怖いw
そして何より呼び込みの婆さんのダミ声がめちゃめちゃ怖いww
「お化けお化け、可愛いお化けに怖いお化け、沢山のお化けが皆さんをお待ちかね、さぁさぁ、お父さんお母さん坊っちゃん嬢ちゃんみんなどうぞお入りなさい」
ガラガラ声で一日中喋ってるんだから、多分この婆さんも妖怪に違いないww
とりあえず、ビールとお好み焼きを購入。
子供達はタピオカジュースと串焼き等を購入
串焼きも祭りの代表的な逸品になりましたな〜♪
その後は通りに出て以前住んでいた成田山喜多院の方へ行こうとなり、山車を横目に勝手知ったる裏道をするすると思い出話をしながら、街の変化に驚きながら進みました。
川越は夜道を歩くとどこからともなく、お囃子を練習する拍子が聞こえて来る街です。
風情があって良い街でしたな〜♪
成田山から喜多院へ行き、仙波東照宮へ。
仙波の東照宮は普段は観る事が出来ません。
東照宮の裏手は誰も行きませんが、道になっていて子供らと良く散歩したものです。
東照宮本殿を裏から撮影w
喜多院を一周して駅へ戻ります。
子供達へお願いして川越八幡宮へ。
御朱印帳の最後のページが埋まりそうで埋まらない。
やはり川越八幡宮で締める縁なのかも知れません。
久し振りに訪れた八幡宮。
あれから沢山の社を見てきました。
当社をあらためて見ると大きくは無いけれども、その造りに不足なく、これぞ坂東の八幡宮と言える綺麗で質実とした構えであります。
この御朱印帳を埋めるまで、沢山の事がありました。
良い事も悪い事も、出会いも別れも。
全てこの御朱印帳に納まっているように思います。
最後にいただいた御朱印は、これまで見たことも無いような見事な筆跡!
これを眼前でさらさらと書いていただきました。
良かった、やはり最後に川越八幡宮へ来て良かった。
色々な意味で感謝をし川越を後にしました。
また新たな思いで、日々を過ごして行こうと思うのでした。
(了)